もしあの時、君を好きな気持ちを認めていれば、
そして、君が好きだと伝えていれば、君をを引き止めることが出来ただろうか。
そんな気持ちと、君という存在に、今も縛られている―――――――――――。
ふわり、ふわり。
一人の青年――――巡回中の真選組一番隊隊長沖田総悟の目の前を、
桃色の何かが舞う。
ふと、見上げれば、傍にあったのは満開の桜並木。
「・・・もう3年、か。」
手のひらを広げると、ひらりと一枚の桜の花びらがそこへ落ちた。
その色合いは、総悟に今はもう地球にはいない一人の少女を思い出させる。
「・・・神楽。」
今、彼女はどうしているのだろうか。
彼の少女の面影は、総悟の胸にちくりとした痛みと、切なさを伴わせた。
初めて、彼女とまともに顔を合わせたのも、最後に会ったのもこの季節だった。
5年前、初めてまともに顔を合わせたとき、
池田屋の件で、顔は知ってはいたが、思わず見惚れた。
桜色の髪、蒼色の瞳、桜色の唇、透き通るような白い肌。
桜が舞う中、その姿はすごく綺麗に見えて。
けれど、実際は繊細な印象を吹っ飛ばすような、毒舌と真選組一の戦闘能力を持つ自分と、
対等に渡り合える強さを持っていた。その時の高揚感は忘れられない。
向かうところ敵なしだった自分に、対等に戦える面白い奴。犬猿の仲。
誰よりもお互いの力を認めているライバル同士。明確に言えば、けんか友達。
あの日から、総悟の中で神楽はそんな存在だった。
・・・・・喧嘩友達。確かにそう思っていたはずなのに。
3年前。
あの頃は約束しているわけでもないのに、毎日自然に同じ場所で顔を合わせ、
手合わせという名の喧嘩を行うのが日常となっていて。
いつしかその手合わせが総悟の一番の楽しみとなっていた。
そして手合わせの後の神楽のとのやりとりは、自分自身、何故かは解らなかったが、
心が暖かさに包まれるのを感じていた。
――――――――いや、本当は気づいていた。
それなのに気づかない振りをしていた。彼女との関係を崩したくなかったから。
このとき、彼女への本当の気持ちを認めていればと今でも思う。
気づいていれば、彼女に対してあんな態度をとることはなかっただろうし、
こんないつまでも後悔し続けることもなかったのに。
最後に神楽にあった日。その日も喧嘩をして、喧嘩後は少し休んで、
神楽をからかいながら別れる、といういつものやりとりで終わると思っていたのだけれど。
その日の彼女の態度はいつもと違っていた。
「そんじゃあな、チャイナ。」
そういって立ち去ろうとした総悟は後ろから隊服の袖を掴まれた。
後ろを振り向くと、袖を掴んだ手の持ち主である神楽が、
なにか言いたそうに口を開きかけては閉じる。
「・・・なんでィ。」
めずらしくはっきりしない神楽になぜかイライラしながら、掴まれた袖を振り払った。
だが、神楽は一瞬、寂しげな表情を見せただけで、くるりと彼に背を向ける。
「なにを言いたいのか忘れちゃったアル。・・・バイバイ、沖田。」
顔だけをこちらに向けて、笑みを浮かべながらそれだけを答えると、
万事屋へと歩き出した。
(いってィ、なんなんでェ。)
総悟はいつもと違う神楽の様子に首を傾げながら、自分も別方向に歩き出す、が。
けれど別れ際の神楽の笑みがなにか悲しそうに見えたような気がして。
「・・・・チャイナ!」
胸騒ぎを感じて勢い良く振り返る。けれどもう神楽の姿は見えなかった。
いつもの彼女らしくなかった。いつもサドやら税金泥棒呼ばわりなのに、名前を呼んだ。
そして去り際の「バイバイ」という言葉。そんなことは今まで言わなかった。
胸の中でじわじわと得体の知れない不安が滲み出すのを感じた。
まあ、また明日会えば何か解るかも知れないと、
胸の中の不安を打ち消しながら、総悟は屯所へと帰った。
―――――――――――だが、次の日から神楽が河川敷に来ることはなかった。
神楽が姿を現さなくなって、一週間経った頃。
総悟は、神楽が姿を現さなくなった理由を、
偶然、街中であった銀時と新八から聞かされることになる。
その日も結局、神楽は現れなかった。イライラする気持ちを少しでも落ち着けようと、
甘味でもとろうと甘味処へと向かった。
「「あ。」」
甘味処の戸を開けると、目の前に、テーブルに座って団子を食べている銀時と新八がいた。
「あれ、沖田君。またサボり?」
「こんにちは、沖田さん。・・銀さん。沖田さん、私服じゃないですか。非番の日でしょうが。」
ぺこり、と総悟に頭を下げてから、見て分からないのかと言うように、
新八の冷静なツッコミが飛ぶ。
いつもどおりの遣り取りに、変わらねェなあ、と表情には出さないものの心の中で苦笑ながら、
いつもこの二人と一緒にいるはずの神楽の姿を探したが、彼女の姿は見つからなかった。
「・・・今日はチャイナは一緒じゃねぇんですかィ。」
神楽の姿がないことに、大きな不安を感じながらもさりげなく二人に尋ねた。
「・・・・?」
なにも返答がないのをおかしく思い、銀時たちを見ると、
二人とも驚いたように目を見開いて総悟を見ていた。
「・・・・もしかして、沖田くん。知らない、とか・・・?」
「・・・神楽ちゃんのことだから、沖田さんには話してると思ったんですが・・・。」
「・・・なんのことですかィ?」
マジでか、と、銀時は口元を押さえながらそう呟く。
新八は、なにか納得したような、それでいてひどく寂しそうな表情を浮かべていた。
二人の話を聞いた後、どう屯所へと帰ったのかまったく覚えていない。
気がつくと自分の部屋に戻っていた。後ろ手に障子を閉めると、
そのままずるずるとしゃがみ込んだ。
『・・・神楽ちゃん、お父さんと一緒に旅に出たんです。』
『・・・本当は、明日出発だったんだけどな。
神楽の奴、湿っぽくなるのは嫌だとか言って出発を早めたんだよ。』
甘味処での銀時と新八の言葉が再度、総悟の脳裏に響く。
銀時と新八の話では、神楽が、迎えに来た父親である星海坊主と地球を出たのは、
最後に彼女と会ったあの日。―――――― 一週間前の夜。
あの日の神楽は、本当にいつもの彼女らしくなかった。
神楽はなにか言いたそうにしていた。
多分、自分に地球から旅立つことを伝えようとしていたのだ。
それなのに自分は。掴まれた腕を振り払い、はっきりしない彼女に苛立ちの視線を向けた。
そんな態度をとられれば、神楽が何も言えなかったのは、無理もなかった。
振り払ったときに、一瞬見せた寂しげな表情と、去り際の悲しげな表情。
神楽にそんな顔をさせたのは、他ならぬ自分。
「――――っ!」
ドカッ!
自分の馬鹿さ加減にたまらなく腹が立ち、思い切り畳を叩いた。
とても胸が痛かった。苦しかった。
去り際の悲しそうな笑顔が脳裏から消えない。
神楽の存在が自分の中で、こんなに大きくなっているなんて気づかなかった。
神楽とあった最後の日に、戻れるのならば戻りたかった。
行かないでほしいと抱きしめたかった。
姉であるミツバを亡くしたときとは、似ているようで、まったく違う気持ち。
「・・・馬鹿かィ、俺は。いつも無くしてから気づきやがる・・!」
姉の幸せを願っていたのに、姉の幸せを自分の尺度で決めつけ、一番不幸にしていた自分。
一人の男のやさしさを、無碍にした自分。
そのことをひどく思い知ったのは、姉が息を引き取った後。
そして、今もまた。
「本当に、・・・・相当な大馬鹿でィ・・・。」
自分が神楽をどんなに好きだったのかを。少女とのやりとりがなによりも大切だったかを。
彼女が目の前から姿を消した今になって気づくなんて。思い知るなんて。
――――――――ずっと変わらないと思っていた。
神楽が自分の近くにいて、喧嘩したり、話したり。
他愛のない、暖かな日々がいつまでも続くと思っていた。
彼女がいつまでも自分の傍にいるといつのまにか思っていた。
本当は、そんな保証なんてどこにもなかったのに。
きゃはははは!
横を通り過ぎる子供たちの笑い声に、過去の記憶に飛んでいた総悟は我に返る。
はっとして見回すと3年前、神楽が姿を消すまで毎日彼女と会っていた場所にいた。
どうやら過去の記憶を思い出しているうちに、自然とここまで来ていたらしい。
「・・・会いてェよ、神楽・・・。」
総悟は思わず呟いていた。
過去を思い出したせいだろうか。ひどく胸が締め付けられる。
心が叫んでいた。神楽に会いたいと。
3年間、彼女のことがどうしても忘れらず、見合いも他の女性の告白もすべて断っていた。
再び会えるという保障がないのなら、神楽への想いを絶たなければ
次へ進めないとわかっていても。
神楽と再会する僅かな可能性でも、捨てたくなどなかった。
彼女への想いを諦めたくなかった。
総悟はしばし桜を見つめていたが、ここに留まっていれば、神楽への想いは募るばかり。
大きくため息をついて桜から目を離したその時、突然、強い風が吹いて、
桜の花が叩きつけるように総悟に降り注ぐ。
「くっ!」
襲う花びらと強い風にたまらず顔を覆う。
風がやみ、腕を下ろすとそこは桜の花が吹雪のように乱舞していた。
幻想的な風景の中、ふと向けた視線の先、
桜吹雪の中に佇む人影を見たとき、総悟は目を見開く。
見覚えのある藤色の番傘。ほっそりとした、けれど女らしい曲線を描いた背中と腰。
そして傘から除く腰まで伸びた桃色の髪。赤いチャイナ服。――――――――まさか。
目の前に見える人物を信じられず、その場に立ち尽くす総悟のほうへ、
その女性はゆっくりと振り返った。そして総悟の姿をみて、驚いたように目を見開いた。
「沖田・・・・・!?」
「か、ぐら・・・?」
変わらない声音。だが姿は、少女から女性へと確実に変化していて、総悟は見惚れた。
綺麗になっていた。もともとから美少女だったが、
目の前にいる彼女は美女と呼んで差し支えない。
お団子はやめたのか、桃色の髪はおろされ、両サイドの髪を少しだけとって三つ編みに。
白く透き通る肌はみずみずしく、色香を放っているように見え、
唇はグロスを塗っているのか桜色に光っていた。
「お、沖田!?」
気づけば足が勝手に動いていて、彼女を腕の中に抱きしめていた。
「神楽・・・・!神楽・・・!」
本当に神楽だ。幻じゃない本当の神楽。
ずっと会いたかった、自分の心に住み着いて離れない存在が今、腕の中にいる。
「く、苦し・・、離してヨ・・・、沖田・・。」
総悟の腕の中で神楽が苦しそうに身動ぎする。だが腕の力は緩めなかった。
「・・・・嫌でィ。」
「沖田!」
一向に腕の力を弱めない総悟に、神楽が抗議するように名を呼んだ。
「・・・・離すかよ。絶対、離さねェ・・・。やっと・・・!やっと、お前に会えたんだ・・・・!」
総悟の強く吐き出すような言葉に、神楽がビクリと身を震わせる。
総悟を押し返そうとしていた手は、徐々に力を無くしていき、するりと落ちた。
「・・・最後に会ったあの日のお前の悲しい表情が浮かぶ度、後悔してた。
お前の言葉をちゃんと聞くべきだったって。」
あの時に、神楽への気持ちを認めていれば、伝えていれば、
神楽を引き止められたかもしれないのに、
「・・・好きだっ・・・!好きなんでさァ、神楽・・・!」
そして傍から離さないようにこの腕に捕まえることができたかもしれないのに、と3年間、
そればかりを考えていた。
「お前が俺のこと、喧嘩友達ぐらいにしか思ってないのぐらいわかってらァ・・・。
好きだって言って、またどっかへ旅立っちまうお前を困らせることも解ってまさァ・・・・。
でも!もうなにもできずに別れて、あとから後悔するなんてまっぴら御免だ・・・!」
神楽はえいりあんはんたーだ。
もう一人前になったのか、まだ見習いなのかは定かではないが、
一箇所にずっと留まって居るはずはないのは解っていた。
「・・・ずっと、ずっと、お前に会いたかった・・・・!どうしてもあの時に言えなかった・・・、
『好きだ』って言葉を伝えたかった。」
また彼女が地球から去っていくことがわかっていたからこそ、
3年間ずっと抱いていた思いを伝えたかった。
例え、あの日、傷つけた自分を受け入れてくれなくても。
「・・・私だって・・・。」
震えるように響いた神楽の声と同時に背中に温もりを感じた。
それが神楽の腕だと総悟が理解した時、
彼女の腕が隊服の背の部分をぎゅっと掴んだ。
「・・・ずっと、お前と一緒に居たかった・・・・。3年前のあの日より前から、
ずっとお前のこと想ってたから・・・!」
神楽が叫ぶように紡いだ言葉に、総悟は驚いて目を瞠った。
「・・・・でも、えいりあんはんたーになるのも・・・・、ずっと私の夢だったアル・・。
けど、お前と会えなくなるのも嫌だった・・・・。
だからあの日、気持ちを伝えようとしたネ・・・。」
神楽も、自分と同じだったのか。
「・・・でもなかなか切り出せなくて、去り際に思わずお前の袖を掴んだけど、
お前は、嫌そうに、私の手、振り払ったアル・・・。」
自分が神楽を想っていたように、神楽も自分を想ってくれていたのか。
「だから・・・お前にとって私は・・・・、喧嘩友達でしかないって・・・、思い知って、
辛くて、そのまま逃げるように、出発の日を早めてまでパピーと地球を出たヨ・・・。」
神楽の気持ちを悟ると同時に。
「・・・修行に明け暮れていれば、お前のこと、忘れられると思った・・。
再会したとしても、普通に笑うことが出来るって思ったヨ。
・・・けど無理だったアル・・・。いつもいつも・・・お前のことばかり思い出して・・・、
忘れること、なんて、出来なかった。」
―――――――嬉しさとともに、とてつもなく、泣きたいような気持ちに襲われた。
「考えて、考えて、忘れること、なんて、できない、って、
思い知って・・、それなら、イイ女になって・・・、
早く、一人前に、なって、見返して、・・・振り向かせて、やろう、って、思ったヨ・・・。」
だんだんと嗚咽交じりになっていく声。震える細い肩。
「・・・やっとで、一人前に・・、な、て、だか、ら・・・、地球、に・・・、
戻って、きたネ・・・。お、前、にっ・・・会う、た、めに・・・。
・・・あの、と、き、・・言え、なかっ、た、こと、を、伝え、る、た、めに・・・!」
総悟の胸の辺りを濡らす暖かな雫。
総悟は腕の力を緩め、神楽の肩に手を置くと、身体を少しだけ離してから顔を上げさせる。
神楽はその瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落としていた。
泣きながら真っ直ぐに総悟を見つめる。
「・・・・好、き。沖田が、好き、ヨ・・・。」
ああ、本当に3年前の自分はなりは大きくても、本当にガキだった。大馬鹿だった。
神楽との関係が壊れることを恐れ、本当の想いから目を逸らし、
認めることも伝えることもできなかった、臆病な自分。
神楽を悲しませ、傷つけた、自分。
でもそんな男に、どうして、神楽は。
「好き」、だなんて、自分が一番欲しかった言葉をくれるのだろう。
総悟は神楽の肩においていた手をゆっくり下ろして、ぎゅっと握った。
俯いて、唇をかみ締める。
「・・・・本当にいいのかィ・・?、俺で・・・・。
・・・お前を、傷つけてばかりだったのに・・・。」
神楽を傷つけてばかりいた自分でいいのだろうか?彼女の傍にいてもいいのだろうか。
そんなことを考えている総悟の頬にそっと手のひらが添えられる。
不意に頬に触れたぬくもりに、思わず顔を上げた。
「・・・・確かに、悲しかったヨ。苦しかったネ。・・・でも傷つかない恋なんてないアル。」
目の前に、泣き止んではいるものの、今だ瞳に涙を溜めたまま、
こちらに微笑んでいる神楽の顔があった。
「また傷つくことも・・・・、悲しいことも・・・あるかも知れないネ。
ケド・・・・、私は沖田がいいアル。」
でもそれは一瞬で。神楽の顔がくしゃり、と歪んで、その瞳から涙が零れた。
「・・・沖田の、傍に、居たいヨ。・・・・・傍に居させて・・・。」
神楽はそう呟くと、顔を両手で覆って俯く。
再び泣き出した神楽の姿に、愛しさ、苦しさ、切なさ、嬉しさ。
色々な感情が綯い交ぜになって総悟を中で暴れまわる。
そんな色々な感情に震える心をを落ち着かせるように、ふう、と息を吐いた。
そして手を震わせながら、ゆっくりそっと手を神楽の背中に回し、
また泣き始めた彼女を優しく抱きしめた。
「お願いするのは、こっちのほうでィ・・・。・・・俺の傍に居てくれ。
・・・喧嘩するかもしれねェ。また泣かせるかもしれねェ。
・・・・けど、お前のこと、大事にするから・・・。大切にするから・・・。
もう、俺から、離れないで・・・。」
優しくその桃色の頭を撫でる。神楽は泣きすぎて言葉が出ないのか、
変わりに総悟の言葉にこくこくと頷いて、返事を返した。
あんなに遠回りをして、ようやく手に入れることのできた愛しい者のぬくもり。
そのぬくもりにゆっくりゆっくりと心を縛っていたものが解けていく。
総悟は、縛られ続けていたものから開放され、
代わりに暖かな感情で心が満たされていくのを感じていた。
シリアス沖神祭「夢幻泡影」様 提出作品